白い月という球に

思うまま、わがままに。適当に書き連ねる、つくりものたち。 コメント・トラックバック歓迎です♪

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最後の発表が終わりました。
修士論文も製本に回したし、ほっと一息。
そして、今は、旅の途中。


修論書きながら、現実逃避にネットをふらふらして、小説投稿サイトにも通ってみたりして(投稿はしないけど)、作家のインタビューとかも読んで、なんとなく分かってきた感じ。

書きたいことがないのに、なんで小説を書こうと思うんだろう?

いや、多分本人の中にはきっと『何か』があるんだと思うのですが、素人さんの小説って中身がないものが多い気がします。
中身がないっていうか、読み終わって残るものがない、というか。

要は、小説というものに対する向き合い方なんですよ。
例えば、純文学を書こうと思う人は、小説を読むことで他人の魂に触れ、自分の魂を満たそうとする。
例えば、エンタメを書こうと思う人は、小説を読むことで現実から解放されてひとときの娯楽に没頭し、明日からまた頑張ろうって思ったりする。
例えば、推理小説を書こうと思う人は、小説を読むことで数学的な美しさや人の心の奥の隠された部分を見ようとする。

……ちょっと、小説のジャンルに詳しくないので(基本的に分類が苦手)、上の例は微妙かもしれませんが、「小説に何を求めているのか」という哲学みたいなものを、もし作家を目指すなら持っておいた方が良いんじゃないかな、と思う。
もっと広くとって、「物語に何を求めるか」、でも良いんだけど。

なんか、まだ自分の中でまとまっていないので、だらだらと書きますが、物語を作るっていうのは人間だったら誰でもやったことがあると思う。
子供の頃のおままごともそうだし(そこには、帰りが遅いお父さんに不満を募らせているお母さん、みたいな感じでドラマがある)、大人だって「もしあの子が自分の彼女だったら、日曜日には湖でボートを……」とかいう妄想をしてその世界にどっぷり浸かってみたりする。

人は常に、ここではない、今ではない、世界を夢想する。

あと、また話が変わるかもしれないですが、前に何かの小説(純文学系)を読んでて、気持ち悪いな、って思ったんですよ。
昔の作品だったので、書いた人はとっくに死んじゃってるわけです。
それなのに、彼の精神が、確かにこの本の中に閉じ込められてる、って。
そして、その、持ち主が死んだ、閉じ込められた精神が今の私に影響を与える。
それって、気持ち悪くないですか?

物に、精神が宿り続ける。
もちろん、読む人あっての小説ですが、それは永久なのです。

私の精神が本当に存在しているかどうかは、私にしか分からないことで、他の人には影も形も見えない。
でも、話したり視線を交わらせたりすることで、他人は私の精神の存在をほのかに感じ取る。
それだけ。
さて、本に閉じ込められた精神と、私の中にある精神の違いってなんだろう?


なんか、話が良く分からなくなってきましたが、まぁ、小説を書くことや物語を作ることっていうのは、遠くを見てる感じなのだと。
それは、自分の生の届かない未来なのかもしれないし、二度と戻れない過去なのかもしれない。
どこかに存在する今なのかもしれない。

とりあえず、遠くを見てみたら?みたいな。
読者は、遠くにいる。




いつも以上に、ぐだぐだで、すいません……。


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テーマ:物書きのひとりごと - ジャンル:小説・文学
コメント

日曜日には湖でボートって…古くないですか? 笑

真面目な話ですが、故人の書いたものが精神的に自分に影響することって、上手くは言えませんがロマンを感じる。(←変?)

いや、その方が書いたときは、たろすけ(すけピン)と名乗るヤツが読むなんて想像してないでしょ。その誰だかわからんヤツに影響を与えていたと考えると、
『お、俺ってスゲーじゃん!!』って思えます。
たとえば、故人の立場で考えれば。の話なので、それこそ妄想といえば妄想なのかもしれませんね。

妄想といえば、日曜日には湖でボートではなく、
二人でベランダで日向ぼっこしながらビール。

うむ。それこそ古い。爆
2008/02/08(金) 22:54:12 | URL | たろすけ(すけピン) #rFJbKIhU[ 編集]

やはり本物の小説家の物語りは、
不特定多数の読者の心境や環境如何を抜きにして、
その物語りに入り込ませていきますよね。
(全てが全てとまでは言いませんが)
その中で、伝えたいこと、又は精神的な部分を、
語り手としてのフィルターを通して伝えている。
読み手の数に対して一つの語り手です。
どう伝わるか、どう伝えるか…
これはもう、どう伝えたいかを優先するのがいいのでしょうし、
そのために遠くを見る…
それでいいような気がしますね。
ま、僕にはよくわからないんですけどね。(苦笑)
2008/02/09(土) 14:40:11 | URL | Don #.7tOqmoU[ 編集]

たろすけ(すけピン)さん、こんばんはー。
湖は、やっぱり、古いですかね?(笑)

いやいや、私も実はロマン、感じます(笑)
でも、ちょーっと、不健全かなぁ、とも思ったり。
なんというか、死者に魂を持っていかれる感じというのでしょうか。
あっちの世界に魅せられると、帰ってこれなくなる可能性が……というのは大げさですが(笑)

というか、私の場合、物語の中への逃避というのは、常にその危険性と隣り合わせだったりするかもしれない……。
本とかを本気で読んでる最中は、呼ばれても気づかないんですよねー。
子供の頃、「○○ちゃんが返事しなくなっちゃったー」と友達に怖がられました(苦笑)
2008/02/09(土) 21:30:31 | URL | もみじ #KKhd1Ueo[ 編集]

Donさん、こんばんはー。

いやー、私もよく分かってないですから(笑)
というか、すでにこの記事書いたときの自分が、遠い……。

なんとなく、フィクションだからこそ、人の心の中の無意識にすら影響を与えることができるっていうのもあるんじゃないかと思う。
そのものを書くんじゃなくて、その奥にあるものを描く。
そうすることで、人は警戒せずに、心を開いてその物語を受け入れる。

精神の底の部分はある程度、どんな人でも共通しているように思います。
だから、たぶん、その部分に作用する言葉や文章を使いこなせる人が、人の心の無意識にまでお話を届かせることができる。
読者の心に、作者の見ている「言葉になんかできない」風景を見せることができるのです。

なんか、まだ自分でもイマイチよく分かってないですが(笑)
2008/02/09(土) 21:53:19 | URL | もみじ #KKhd1Ueo[ 編集]

 物書きの寿命は短い、20から書き始めても70まで生きていられるかわからない。
 書物の世界で50年なんてあっという間、それまでに本を何冊書いたとしても、本当に感動できる本はごくわずか、もしくはまったく駄目かもしれない。
 埋もれてしまうのが普通で、その中から自分の書いた物を正面から見つめ読んでくれる読者がいる。
 紙媒体にならないと、書き手の精神て中々目の前に伝わってこない気がするのは気のせいでしょうか。
 手にとって、自分の目で確かめないと、本の中にあるかもしれない作者の精神は伝わらないような気がします。

 ネットではなかなかフーンという感じが多いので、直に触れる視覚面、触覚面の良し悪しで決まるのでしょうか。
 これはよくわかりません。
2008/02/11(月) 12:50:24 | URL | ぬこの物書き雑文集 #Tf9aLMeg[ 編集]

ぬこさん、こんばんは-。

私の場合、ネットだと長いものが読めないのでなんとも言えません……。
良いものに当たった経験もあまりないしなぁ。

子供の頃、私は人間嫌いでした。
だから、人を避けて本を読んだ。
でも、これは今考えると「あれ?」という感じですよね。
だって、その本だって人間が書いたものなんですから。

でも、本って、そういう距離感なんだと思います。
すでに終わっている。完結している。
私は、あくまで旅行者気分で眺められる。
自分のペースを邪魔されない。
好きに感動して、好きに腹を立てて、それで良い。

それと比べて、ネットはもっと生々しい感じがします。
ディスプレイの向こうに、人の息遣いを、確かに感じる。
こちらに向かってくる、感情を感じる。好意も、悪意も。
ネットの小説だと、作者が近すぎるのかなぁ。
まぁ、私にとっては、ですが(笑)

というわけで、今のところ、本派ですね(笑)
2008/02/12(火) 23:02:49 | URL | もみじ #KKhd1Ueo[ 編集]
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2008/02/15(金) 17:44:53 | ?衢 - ?SPECIAL
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