2008/2/12読了。
DO ANDROIDS DREAM OF ELECTRIC SHEEP ?
by Philip K. Dick
人は、機械にも愛情を注げるらしい。
機械の機械的な言動に、心の存在を感じるらしい。
ってことかな。
この作品の中では、
アンドロイドと人間を見分ける手段があるということだったけれど、
個人的には別になくてもいいや、と読み終わって思った。
例えば、本当に、人間そっくりに作ったアンドロイドが、
人間と見分けがつかなくても、私は別に困らない。
自分がアンドロイドだと知ってしまっても、あまりショックはないように思える。
何故だろう?
もともと、欠陥の多い精神を抱えているからかな。
自分が普通の人間だと思ったことはない。
親には、中学生のときに「感情がないみたい」と言われた。
人の感情というものの多くが、後天的に作られるということを私は身をもって知っている。
そして、言動に分かりやすく表れた感情の切れ端しか、感知することができない人が多くいることを私は知っている。
見えないものが、見えない人たち。
見えるものしか、見えない人たち。
そういう人たちが多く住むこの世界において、大事なのは本当に感情があることではなく、
感情を感じさせる言動をとることなのだ。
人は、喜怒哀楽をはっきり見せられると、安心して心を許す。
たとえ、それが計算に基づいて行われているパフォーマンスであろうとも。
私は、一からとは言わないけれど、自分の感情や性格を自分で設定してきた。
集団の中で自由に動けるように、
何をやってもその行動をとった理由を深く追求されることなく
「ああ、○○さんだからねー」で済まされるような性格。
感情は、とりあえずナマのやつを白で塗りつぶして、その上に新しくいろいろ作った。
……リハビリの甲斐あって、最近、ナマのやつが顔を出し始めてきているけれど(笑)
(大学入ったころ、自分が暑いのか寒いのかもよく分からないや、ということに気付いて少し愕然とした。無意識のところで我慢する癖がついていて、意識のほうまで上らない状態だった。全体的に塗りつぶしていたから。……でもそのおかげで、身体は頑丈になったかな(笑))
なんか、話がずれた。
まぁ、ともかく、人間同士だって自己完結みたいな、いい加減なコミュニケーションしかとってないんだから、
アンドロイドが混じってたって分からないだろう、という感じです。
んー、分からないというか、どっちでもいいというか。
結局、自分以外の他人に心があると思っているのは、単なる思い込みに過ぎないと思う。
そして、人は、アンドロイドにも、心があると思い込める。
愛することができる。
それが全てだ。
このお話の中で、アンドロイドのレイチェルはラストのほうで本物の山羊を殺します。
それは、ある意味で彼女の中の嫉妬の感情の存在を匂わせる。
とても、可愛いと思った。
彼女の心は負の感情で荒れ狂っていて、
電気羊みたいな愛されるためだけに生まれてきた、
単純で己の存在価値についてなんか考えない機械に憧れるのかもしれないけれど、
でも、そういう感情は人間になっても付きまとうんだ。
思い込みで成り立っているひとりきりの世界に、孤独は冷たく甘美に輝き続ける。